開会の辞 2018

今から真面目に長くてつまらない話をしますので、よろしくお願いします。



僕は毎年この時期になると年末恒例みたいな感じで今年気に入った曲ランキングみたいなブログを書いてるんです。
自分の今年お気に入りの曲を紹介するという。この曲のここが素晴らしいとか、アルバムのあそこらへんが完璧だったとか、次はここを直して欲しいとか、まぁ言いたい放題書くわけよね。
そういうのを毎年やってきたわけですよ。
それで2018年の11月下旬くらいですかね、そろそろ例の季節がやってきたと。またブログ書かなきゃなと思いまして。
まずは曲を羅列していく。どの曲について書くかを列挙していくんですけど。
列挙した結果、候補に挙がった曲は全部で8つになりました。8つ。8ですよ。たったの8。
8って... まぁ幾ら何でも少なすぎるだろうと。例年だと20とか25とかそれくらい出てくるもんなんですけど。8って...
そこで僕は何をしたかと言うと、今年出たアルバムや曲を改めて調べて、めぼしいのをしっかり聴くという作業でした。
ブログを書くために良さげな音楽を聴く。これって、映える写真をInstagramに載せるために旅行や食事に行くような感覚に似てるよね。まさに本末転倒なんですけど、まぁ目的のために手段を選ばないというのは決して悪くないだろうと。少なくとも、こんな零細ブログにおいて大事なのは、過程よりも結果だからね。
だからいろいろ聴きました。それが11月の最後の方の日曜日。いろんな音楽を集中して聴いた。その感覚は久しぶりだったよ。こんなに音楽鑑賞に集中したのは高校の時以来かもしれない。
持っているのにほとんどまともに聴いてなかったアルバムをしっかりほじくり返したし、リリースされていることすら知らなかったアルバムも慌ててチェックしたりしました。
その結果、頑張った甲斐もあって候補曲が全部で20曲になりました。20ならいいよね。はい。
まぁその後もうちょっと増えたり減らしたりして最終的に21曲にしました。21日分、ブログを書こうと思います。
無理くり水増ししたわけではなく、全部が全部素晴らしい楽曲となっておりますのでそこはご安心ください。


なんでこんな話を書いたのかと言いますと。
2018年というか2010年代後期の音楽、そして今後の音楽というのは、能動的に触れなくてはいけないものなんだなって、より強く実感したんですよ。
情報量と発信するメディアが増えすぎたんです。
2005年までに人々が毎年得ていた情報量と、2006年以降に人々が毎年得ていった情報量は大きく違うと思います。
2006年というのはYouTubeが有名になっていった年です。
昔は情報を発信する媒体というのはテレビ、雑誌、ラジオしかなかったんですよ。その3つから情報を得ていた。
この中でもテレビとラジオ、この2つのメディアは音楽との親和性が高かった。曲を流すラジオは言わずもがなだし、テレビはドラマでもCMでも演出として音楽が必須である。
当時は音楽が身近だったんだと思う。日常に自然と溶け込んでいた。日常に溢れていた。
当時を生きる人達はたくさん音楽を知っていた。いろんな曲を日常で耳にして、それを口ずさめるぐらいに認識していたのだった。
別に好きなアーティストの曲じゃなくても、当時のヒット曲というのは歌えるものだった。曲全部とは言わなくてもサビなら歌えるよっていうレベルにはあった。
それが、大きく様変わりする。
きっかけはやっぱりYouTubeだと思うよ。別にYouTubeが悪とは言わんけどね。僕も大好きだし毎日お世話になってますし。
インターネットが一般家庭に利用され出したのは20世紀末ぐらいだったでしょうか、まだこの頃はそこまでの影響力はなかったと思うんですよ。テレビ・雑誌・ラジオと比較できるレベルには到底ないような、小さな小さな媒体でしかなかった。2ちゃんねるとかもあったけど、所詮は掲示板でしかない。日本中、世界中のどこからでもアクセスできる掲示板だからと言って、世間における存在感なんて町の片隅にある連絡掲示板と大差ないようなものでしかなかったと思う。
それが2006年にYouTubeのブレイク。YouTubeのブレイクによって、インターネットもブレイクした。従来のメディアのように一方通行で与えられるのではなく、自ら情報を選択するという有力メディアのブレイクは、やはり世の中を大きく変えたと思いますね。
そしてもう1個付け加えるならiPhoneです。この小さくてパワフルなデバイスは、生活スタイルまでも一新させてしまった。インターネットは肌身離さず持ち運べるものとなったのだ。
結果、メディアがひとつ増えました。テレビ・雑誌・ラジオに加えて、インターネット。
メディアが増えたので、情報量もまた増えたのです。本当に本当に情報過多の時代。自ら情報を取捨選択しなくてはいけない、そんな時代。
今までは全てを享受しているだけでよかったけど、現代は自分で選ばなくてはならない。
じゃあどれが選ばれるかっていう話。
インターネットの優位性なんて言うまでもないんだけど、単純に相対的なところを見てみても、例えば雑誌なんていうのは非常に厳しい状況にあって、リアルタイムで情報を提供したり更新したりすることができないために価値を見出し難いものとなってしまっていて、おかげで結構な数の書店が閉店に追い込まれている状況にありますよね。ラジオは元々ニッチな性質のメディアではありましたが、近年はますますコアでピンポイントな層をターゲットにしている感じです。テレビもね、ネットへの対抗策を見出せないのか見出す作業を怠っているのかわかりませんが、着々と領土を奪われているような状況が続いてます。
もちろん世の中広くていろんな人がいて、デジタルディバイドなんていう言葉も存在するぐらいですから、おじいちゃんおばあちゃんにとっては未だにナンバーワンメディアはテレビっていう人が多数だとは思いますが。
申し訳ないけど、2018年、いやもっと前からだろうけど、一番のメディアはインターネットになりました。
そして、残念なことに、インターネットと音楽というのは、決して相性がいいとは言いづらいんです。
いろいろ理由があると思います。文章を読む時にBGMはいらないですし、スマホでネットをやる時には音量はゼロにしがちですよね。まぁ動画を見る時にはBGMついてるかもしれませんけど、それはテレビとの比較で言えばそんなに耳につくものではないと思う。
その結果、音楽は日常から消えていってしまった。
JASRAC、もといカスラックのせいもありますが、あんまり日常で音楽が流れなくなってしまった。
ヒット曲なんてほぼありません。新曲を知る機会がないので、ヒットするどころか誰にも知られないで終わっていく。
みんな音楽に触れなくなってしまった。
卵が先か鶏が先かになりますけど、音楽番組も壊滅状態。ヒット曲がないから音楽番組をやる意味はありません。そして音楽番組がないので、ヒット曲も生まれないと。
情報過多の時代の中で、発信できる力を持つのは大手だけ。ジャニーズとか秋元康系列、さらにはavexの一部などの大手ばかりがのさばるような、真の暗黒期。
じゃあどうやってこの時代を乗り切るか、音楽家たちはどうやってインターネット時代を生き抜いていくか。
今の日本人はテレビを見る時間よりもスマホをいじる時間の方が長いんだから、スマホに適した音楽を創造していくしかないんじゃないの。
しかも音楽だけっていうのではあまりにもパワーレス。なぜなら液晶だからね。スマホなんだから画面がある。画面があるのに何も映らず音楽が流れるというのは、非現実的だ。
だから今後は今まで以上にPV、いやPVというよりもIVの方が表現として適切だな、イメージビデオが大事になってくるんだと思う。
映像あっての音楽、っていう位置付けになるのだろう。映像と音楽の両立というよりも、映像がメインで存在して、そこに音楽が付随するぐらいの、それくらいの位置関係になっていくかと思う。
これから先、音楽で飯食おうと思っている人たちは、映像の勉強もしなくちゃいけない。いい音楽を作るのみならず、いいイメージビデオを作る。
マイケル・ジャクソンとかRIP SLYMEとか、そういった偉大な先人たちから学ぶべきところがいっぱいあると思いますよ。
ちゃんとしたビデオを作っていこうではないか。ただ演奏して歌ってる姿を見せるのではなく、いろいろな表現で描いていくべきだと思う。それが未来の音楽家に求められる能力だと思う。
そう。ビデオが大事なんだから、YouTubeへの転載禁止とか、PVショートバージョンとか、もってのほかでしょ。わかってんのか。時代を知れ。時代を学べ。2018年にありえんわ。アホかっつーの。


ちょっと風呂敷広げすぎてしまった。そろそろまとめに入ります。
思ったことが2つ。
僕がいい曲に巡り会えなかったのは、僕自身の怠慢。もちろんそれは否定しません。
これから先、人生が続いていく中で、素敵な新曲に巡り会いたいのであれば、もっと能動的に動かなくてはならない。
誰かから与えられるのを待つのではなく、自ら探し、掴み取ろう。これがひとつめ。
そしてもう1個。そうはいってもね、やっぱりアーティストのみなさんもぶっちゃけ情けないと思うよ。
こんな御託を並べなくて済むぐらい、たくさんいい曲を作ってください。
消費者側に偉そうに言われたくないでしょうが、こんなしょうもない消費者に心配されているのも正直情けない姿と思いますね。
僕もリスナーとして頑張るので、アーティストのみなさんもこれまで以上に頑張ってください。
それだけです。お願いします。