Robert Glasper vs Lauryn Hill

なんとなく自分のブログを見返した時に、ペルソナのアニメの話ばっかりで怠慢こいてることを今更痛感。たまには何か別の話もしないとなぁと思って、ここ最近一番面白かったことを書こうと思いますよ。




ちょっと前に始まった話。
まずロバート・グラスパー (以下RG)がヒューストンのラジオ番組に出演した際。その番組のパーソナリティが「いろいろエゴの強い面倒くさいアーティストとも共演してきたと思うんだけど」と切り出したところ、サービス精神の強いRGがその流れの中で「あー、いたねそういうヤツ… 名前を言ってあげようか?準備OK?」と始め出す。その場にいた他の出演者たちは多分軽い気持ちで「ええよ」と言ったんですが、「ローリン・ヒル」と名前を出した後、RGは付けてたサングラスを外して、わりとマジなトーンで当時の怒りを言葉に換えて行く。

で、RGの主張は以下の通り。

  • 2006年のローリンのライブのバンドメンバーのオーディションに来てほしいと言われたが、当時既にブルーノートとディールを結んでいてアルバムも発表していたRGは「オーディションは受けませんよ。どうしても僕を誘いたいのならアルバムを出してるのでそれを聴いてください」と返答。それでもローリン側は「電話越しでに演奏してくれ」と要求してきたため、断った
  • 2008年のローリンのライブのディレクターがRGの友人だったため、バンドメンバー入りする。しかしローリンは毎日リハーサルのたびにライブの内容を変えまくった。ムチャクチャに変えまくった。それでいてライブ前日のリハには姿を見せず、マネージャーを介して「バンドのパフォーマンスに納得がいかないので、ギャラは半分にカットします」と通告して来た
  • 彼女はバンドメンバーを解雇するのが好き。解雇されたメンバーの名前、今パッと思い浮かぶだけで15人くらい言えるよ
  • ディレクターからは「ローリンの目を見てはいけない」「彼女のことはMs.Hillと呼ばなきゃいけない」という事前注意を受けたりした
  • ローリンのファーストアルバム『The Miseducation of Lauryn Hill』は絶賛されたけど、自分で書いていないし作っていない。実際は彼女じゃなくて周りの優れたミュージシャンやプロデューサーによって作られているのに、その功績は認められてないどころか、クレジットすらされていない。全部自作自演ということになっているから、彼女はあれだけのスターになれた
  • 自分で作っていない楽曲だから、ライブでは歌えず、アレンジを変えている
  • もし本当に才能があるというのならば、次のアルバムを出せよっていう話になる (注: ローリン・ヒルはオリジナルアルバムを一枚しかリリースしていない。オリジナル1枚とアンプラグド1枚)



んー、まぁRGもノリのいい人だから多少盛っているところもあるのかもしれないが、しかしもう身分も立場もしっかりしていて我が世の春を謳歌している中でわざわざこんなことを言うなんて、真実は含まれている気がするし、よっぽどの思いがあったんだろうなと推測されます。



それからしばらくして、沈黙を守っていたローリンが口を開きます。反論。
‘Addressing Robert Glasper and other common misconceptions about me (in no particular order)’ By Ms. Lauryn Hill
全文が長いです。しかも冒頭で「人は時に優しさを弱さと勘違いしたり、沈黙を弱さと勘違いしたりしがちだけど、そういう時には私もぶちまけなきゃいけない」とイキリ立ったりしてて面倒くさそうだ。
ローリンの主張は以下の通り。話の順序というか流れもめちゃくちゃで、あっちいったりこっちいったりと、彼女のいい加減さが滲み出てます。

  • 私のクリエイティブな表現の決定権は私自身にある。バンドメンバーの決定もその瞬間に必要と思った人を採用しているのであって、例え不採用だったとしても別にそのミュージシャンがしょぼいというわけではない
  • 『Miseducation』は私が初めてソロアーティストとしてリリースしたアルバムで、クレジットとか権利の問題は全てクリアになっている。(注: 実はアルバムのクレジットや権利のことでプロデューサーたちと裁判を行っており、その後とりあえず和解に至っているので、一応クリアっちゃあクリア) でも本来あるべき境界線とか無しの製作環境だったことは今思い返すと良くなかったかもしれない。おかげでいらぬ誤解が生じた
  • バンドメンバーの解雇が好きとかありえない。ケミストリーが合う人を探すのは大変だし、私はそんなジェームス・ブラウンみたいな嫌がらせはしない
  • 私はバンドメンバーに対して彼ら彼女らの望んで期待しているような経験をさせてあげられなかったかもしれないが、その時の私はstraight-forwardでdirectだし、ビジネスモードだったから
  • 目を見てはいけないとか強要したことはない。誰かが勝手にそう思ってそうお願いしただけだろう。しかしながらアーティストというのは製作中や演奏中は非常に繊細で傷つきやすい状態にあるから、そのタイミングで目を見て覗かれたりしたら困るというのは、わからなくもない
  • 確かに私はMs.Hillと呼ぶように強要していた。私は若い黒人女性だった。若い黒人女性に対して払われるべき敬意が必ずしもあるわけではなかったから、呼び方というのは私にとって、その当時は特に大事だった
  • 男性アーティストは自分がこうしたいと主張しても誰も歯向かわないが、女性アーティストの場合はこうもいかない
  • 私の音楽へのアプローチは独特
  • ライブで原曲通りに歌わないのは、私自身が新作を出していないから。いつも原曲通りで歌うなんてロボットと変わらないし
  • ライブの開演が遅れるのはギリギリまで公演内容を変えたりサウンドチェックをおこなったりしてるから



...みたいな感じです。長い。長かった…
まず思ったのが、あんまりこういうこと言うとその界隈の人に因縁つけられそうですが、女性差別を体よく使いすぎってところだね。
もちろん差別は実際にあっただろうし、今もあるだろうし、問題提起するというのはいいけども、なんでもかんでも女性差別が原因って言ってたりしたら、それだけで話を聞く気がなくなるというか、言葉に力がなくなると思う。
困った時に差別だ差別だと繰り返すなんて、在日と大差ないやんけ。
目を見てはいけない話とかライブ開演遅延の話とか、実に幼稚で笑える。反論になっていない。結局バンドメンバー解雇の話もそんなに否定していないし、彼女自身わかりやすく単純に芸能人気取りが露骨なタイプの人間なんだろうと思いますね。トップに立っちゃいけない種類の人間なんだろうな。アーティストなら下っ端や周りの人に何しても許されるとか思ってるんだろう。
あと何が凄いって今回の反論文の中でRGの主張を否定する部分は少なくて、いかに自分が芸術家肌で天才肌で別格かをひたすら自画自賛しているというのが、実に寒い。
今時こういう人がいるんですね。古いタイプのセレブリティ。びっくりです。
フェミニスト団体から大して担がれたりしないのも、この人自身のキャラクターはフェミニズム活動そのものに悪影響を及ぼすからだろうな。本来なら時代が時代だけにフェミニスト側も人材を確保したいだろうに一切見向きもされないのは、ローリンの印象の悪さゆえだろう。
そして何よりもローリンが情けないのは、次のアルバムを出していないことに対して何ひとつ反論していないことである。
結局、20年間新作を出していない。それだけでもう、何を言っても無駄。何の説得力もない。
いくら自分がどれだけ優れているか主張しても、それはニートの言い訳にしかならん。
そしてニートは誰から何を言われても仕方がない。文句を言われても仕方ないし、逆に文句を言い返す権利もないだろう。働いてないんだから。
自分語り。しかも20年前の武勇伝を延々と。
静かに隠居しとけよ。さんざんいい思いをしたんだから、もうええやん。



ローリン・ヒルにはチャンスがあったんだよ。2004年。Kanye Westが"Mystery of Iniquity"のサンプリングをお願いしたのに、それを却下したんだよな。まぁカニエもあんなヤツだし、何か思うところもあったのかもしれんが。
結局しょうがないのでカニエは別のシンガーにローリンの歌部分を歌ってもらい、別のミュージシャンに演奏もお願いして、"All Falls Down"という曲を完成させることとなった。
この曲自体も小ヒットしたし、何よりもカニエとのコネクションを作るチャンスでもあったわけよね。
自作自演にこだわってるんだろうけど、それでも共同プロデュースみたいなクレジットでカニエに曲を作ってもらえたかもしれないのに。当時はブレイクし始めのカニエだから、いくらでもいい曲を提供できただろうに。
まぁ、馬鹿だったんだよ。人を見抜けず、才能を見抜けず、時代を見抜けなかった。
未だに1998年に取り残された、憐れな人です。