BETでのPuff Daddy Tributeについて (今更)

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ハイパー今更ではありますが。
暇になるとYouTubeで音楽漁りするんですけど、運よく辿り着けたのがこの動画であります。
おい、Shyneじゃねぇか!!!!!!
うおーーーーー!!!!!!!!!!
こんなのがあったんだね、全く知らなかった。



せっかくなので、Puff Daddyの歴史を書いて行きましょう。


1990年、当時の有力レコード会社だったUptown Recordsにインターンとして入社したSean "Puff Daddy" Combs。何がすごいってインターンなのにA&R的にガンガン辣腕を振るっていて、のちにスーパースターへと駆け上がるJodeciMary J. Bligeのデビュー期に大きく貢献しているのは、もう何と言うか尋常じゃない凄みがある。ただのインターンのくせにどんだけ才能あるんだよっていう。
Jodeciは本当に最高で、ベースボールキャップティンバーランドブーツとかのストリートファッションに身を包んだ不良少年たちが、いざ歌わせるとゴスペル育ちのガチな熱唱を披露するという、そんなグループ。今聴いてもクッソカッコ良すぎるのよね。Boyz II Menの品行方正な佇まいも悪くないけど、やっぱりクラスで人気出るのは学級委員長よりも不良でしょ。しかもその不良が勉強できたり運動できたりしたら最強じゃん。それがJodeciだったわけよ。人気ありすぎた。その存在が後世に与えた影響などもう書き切れないほどに。
このビジュアルイメージを構築していったのがPuff Daddyとのことで、プロデューサーとして鋭すぎますわ。
ワルなのに圧倒的に歌える。凄すぎるのよ。
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Mary J. Bligeはご存知Queen of Hip-Hop Soulという偉大な渾名がついていまして。
ヒップホップのビートでソウルを歌うという、ブラックミュージック界の一大ジャンルの走りとしてMary J.は知られていますが、これもPuff Daddy発案によるものだとか。どうなってんだよ、こんなの特許とってたらどれだけのお金になってたんだマジで。
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こんな感じで激しい動きを見せていたSean Combsは、その激しさゆえにUptownを1993年に追い出されることになるんですが。
この才能が死ぬことは決してない。
翌年、母親からいくらか借金して立ち上げたのBad Boy Records。本当の快進撃はここからである。
まずはCraig Mack。EPMDのローディーだったらしいんだけど、そんな男を一丁前なラッパーへと仕立て上げるPuffの手腕。スマッシュヒットとなる"Flava In Ya Ear"のリミックスは今なおクラブをロックする名曲。
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先のMary J.でも見られたが、もうひとつPuff Daddyの功績として挙げられるのが、このリミックス展開である。リミックスと言うと、曲のオケだけを変えるって言うのが一般的なものだったが、Puffの場合はもっと大胆だ。演者を増やすのである。元々ソロ曲だったR&Bにラッパーをゲストで入れて変化をつけたり、元々ソロ曲だったヒップホップにラッパーをゲストで増やしてポッセカットに変化させたり。このリミックスの拡大解釈はめちゃくちゃエポックメイキングで、このおかげでひとつのヒット曲を二度美味しくできるし、演者が増えることで窓口も広がる、客層も広がる、いろんな人に届きやすくなるわけだ。素晴らしい。
そしてこのリミックス展開のうちのひとつ、Mary J. Bligeの名曲"Real Love"のリミックスなどでデビュー前にじわじわと名を広げていったのが、Bad Boy Recordsの真打にして、ヒップホップ史に燦然と輝く名MC、The Notorious B.I.G.である。


巧みすぎるワードプレイ、タフでリアルなリリック、気の利いたユーモアや愛嬌とか、もう誰一人として未だに近づくことさえできない存在であるBiggie Smallsなんですけど、彼の大成功にはPuffの緻密な戦略も欠かせなかった。
ラジオフレンドリーなキャッチー曲とハードコアなストリート曲の両立。デビューアルバムながら当時の有名プロデューサーによる曲提供の実現。ゲストはほとんど呼ばずに主役だけに完全なスポットライトを当てつつ、唯一呼んだゲストは当時Wu-Tang Clangで飛ぶ鳥落としまくってたMethod Manっていう押さえ方。とにかく隙がない。
別にここまでしなくてもBiggieは売れたと思いますが、逆にここまでやったので今なお皆から愛され憧れられているんだろう。
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地元民だけじゃなく全米中の老若男女まで虜にしたNotorious B.I.G.は、コアとマスの両獲りに成功、稀代の演出家Puff Daddyとの二人三脚で、地元から熱狂的に支持されながら全米チャートまで賑わす唯一無二の存在にまで駆け上がっていく。
その一方で小さな火種が燻り始めていた。当時の人気ラッパーである2Pacとの確執である。元々は同じニューヨーク出身の先輩後輩ということで数曲コラボするぐらいの仲だったのだが、Biggieがチャートを賑わしたタイミングで「あの芸風は俺のパクリじゃねぇか」とチクリ。緊張感が走る中、1994年にはニューヨークのタイムズスクウェアにあるレコーディングスタジオで銃撃事件が発生。2Pacは何とか逃れるものの、そのスタジオに居合わせたPuff Daddyらによって計画された銃撃だと断定、両者の亀裂は決定的なものになってしまう。


Bad Boy Recordsはその後も絶好調をキープ。BIggie以降はR&Bに力を入れ始め、Faith Evans (Biggie妻)や112、Totalと言った有力アーティストのブレイクに成功。112やTotalはデビュー曲にBiggieのヴァースを入れることで衆目を集めるという、ここら辺の采配も光っている。
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しかし、悲劇が待っていた。レイプ事件によって投獄されていた2Pacの保釈金を出したのがSuge Knight。彼は西海岸のレーベルDeath Row Recordsの設立者であると同時に、西のギャングであるBloods出身。西の大将として担ぎ上げられた2Pacと、東のNotorious B.I.G.。いわゆる東西抗争の始まりである。お互いに曲中やテレビで罵り合った挙句、行き着いた先は1996年の2Pac殺害、翌年1997年のBiggie殺害であった。


最強のビジネスパートナーであり、無二の親友であったBiggieを失ったPuff Daddy。その喪失感は計り知れないが、彼はやっぱり商魂逞しかった。
まさかまさかのご本人がラッパーデビュー。そんなことある?チームの4番打者、エースストライカーが亡くなって、しょうがないじゃあオーナーであるワシが代わりに行くって、そんなことある?
"I'll Be Missing You"はPuffがラップし、Faithがサビを歌ったBiggie追悼曲として大ヒット。収録されたデビューアルバム『No Way Out』は大成功を収めた。
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この頃のBad BoyはPuffとMaseという華やか系MCの2トップで賑やかにやりつつも、手堅くて重厚なハードコアヒップホップも同時に意識していた。その旗手として期待されたのが、件のShyneである。
今回僕がブログ書いてるのは、このShyneの話がしたかったからです。はい。
Shyneの物語を書きたくてスタートしたんだけど、それを十分に伝えるためには、この長すぎる前置きがどうしても必要でした。長くなってすみません。
Biggieと同じニューヨークはブルックリン出身、声も何となく似ていて、確かなカリスマと知識を備えたShyneは、Biggie亡きBad Boyを牽引するハードコアラッパーとして大いに期待できる存在であった。Biggieのような華やかさはないけれども、そこは最悪Puff自身やMaseが担当すればいい。ストリートのタフモードはShyneなら完璧にこなしてくれるんじゃないかと。
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ところが、物事はそう簡単には進まない。1999年、Shyneのデビューまでもう間も無くのタイミング、マンハッタンでのクラブで銃撃事件が起きる。結果的に殺人未遂の疑いでShyneが逮捕されるのだが、そこの現場にはPuff Daddyと当時のガールフレンドJennifer Lopezもいて、特にこの発砲は癇癪起こしたPuffの犯行なんじゃないかという噂が根強いのだが、真相は闇に葬られてしまった。
その後のBad Boyの話も軽く触れておこう。Shyneまで失ったPuffはその後は改名も挟みつつストリート路線にシフトチェンジ。世間の冷たすぎる目の中で従来のバブリーシャンパン路線は流石に気が引けたんだろう。ちょうどレーベルにはBlack RobやG. Dep、Loonといった渋くてタフなラッパーが揃っており、魅力的なストリートヒットも生み出している。
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その一方でI Need A Girlのリミックスパート1とパート2ではUsherGinuwineといった人気シンガーと歌モノ路線を演ったりと、そこら辺も忘れずにやっている。やっぱり元はR&B寄りの人なんだろうねPuffは。
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その後はMario Winansのヒット、CassieやYung Jocのプチブレイクもありつつ、基本的にはPuff本人のリーダー作以外はもうあまり稼働してない感じかな。流石に老舗なんで勢いはありませんが、確かな信頼と実績、クオリティが保証されているのがBad Boy Recordsであり、Puff Daddyである。
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さてShyneである。
先の銃弾事件で懲役10年の判決、その後シャバに戻ってくるけど国外退去&強制送還、生まれ故郷のベリーズに戻ることとなったが、なんとそこで政治家に転身、選挙に勝って当選すると、その後ベリーズの外交官としてアメリカに帰ってくるという、あまりにも信じがたいストーリー。
そしてそして冒頭のPuff Daddy Tributeである。JodeciやMary J.、The L.O.X.やBusta Rhymesといった馴染み深い面々がパフォーマンスしていく中、一際輝きを見せたのが我らがShyne。
カチッとキマったスーツ姿がカッコ良すぎるんですが、そりゃそうだ政治家なんだから。外交官なんだから。
っていうか政治家が急にステージに出てラップするって、ちょっとあまりにもカッコ良すぎませんかね。
何年ぶりのライブパフォーマンスになるかわかりませんが、でも選挙活動してるならマイク結構使ってるかもね、だから違和感とかブランクを感じさせなかったのか。
まぁ残念ながらこれっきりよ。Puffとこうやって和解できたのは良かったし、元気な姿を見られたのも良かった。でも政治家ですから、将来の総理大臣候補ですから、この先アルバムリリースとかは望めません。あの事件さえなければ、もっとたくさんのクラシックスが出てたんだろうなと考えると、勿体なさすぎて腹が立つ。
でもそんなこと考えてもしょうがない。
いいもの見れました。それは間違いない。
Shyne Barrowに幸あれ!!!