キョコロヒー最新回

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今回は2つの企画でしたが、そのうちの前半パートですねロッチ中岡さんのVTRなんですけど。
これがね、ジーンとした。本当に良かったんだよね。




昔、なんか世の人たちがいっとき急にフジファブリック"若者のすべて"を絶賛し始めたタイミングがあって。
発売した当初なんて誰も見向きもしなかったくせに。
そして色々な人がこぞって意気揚々とカバーする。まぁ別にいいんだけどさ。
カバーソングっていうのはね、歌が上手いとか技術があるとかは心底どうでも良くて、大事なのは誰が歌ってるかっていうその一点なんだよ。
有名な人からそうでもない人までみんな我こそはと歌い上げてますけども。ホント笑わせてくれる。
いや笑えねぇよ。寒気しかしない。
お前の口から、お前の声から、お前の顔から、お前の名前から、その曲を聴きたいかどうか。
みんな自分にその資格があると思ってるんだろうな。ほんと、冷静になって考えてみてほしいけどね。
別に僕もこの曲に特別に思い入れがあるわけでもないっていう。フジファブは"虹"が一番好きです。
でも諸アーティスト方の"若者のすべて"をカバーするっていう行為と、それに臨む姿勢と態度には傲慢さしか感じられなかった。
それに対して、なぜか僕は無性に憤りを覚えていた。



キョコロヒーは僕が毎週楽しみに見ている数少ないTV番組の一つで、いつも火曜日の仕事を終えて帰宅して夕飯を食べながらTVerで見ているんだけど。
昨日はFF16をプレイしながら同時に見るというマルチタスクスタイル。マルチタスクといえば聞こえはいいけど、まぁどっちつかずだよね実際。
先週の次回予告で中岡さんが"若者のすべて"を歌ってるシーンが流れてたから、知ってはいた。歌うんだよなぁっていう気持ちの準備はしてた。特に感情が振れることなく、フラットに準備していた。
でもFF16の終盤あたりを惰性でプレイしていた僕の耳に届く、朗々と合唱スタイルで披露された"若者のすべて"。プレイする手は止めないし、TVerの方もチラチラ見る程度だけど、なんだかすごく温かい喜びがある。
もしかしたら特別な瞬間になるかもしれないと、本能でそう感じたんだろう。とりあえずFF16はキリがいいところまで進めて、明日あらためてちゃんとキョコロヒーもう1回見ようと、そう思いましてね。
それで今日また改めて、今度こそ正面から向かい合ったわけなんですけど。


なんだろうね、芯を食ってるっていうか。
心からこの歌を理解し、憧れ、愛しているんだっていうのが間違いなくて。
憧れが大事なんだろうな。好きなだけじゃダメ。これが大きな分かれ目なんだろう。
合唱って団体芸だから、コブシを効かせたり技術をひけらかしたりすることがなくて、それがこの楽曲に合っていたのかもしれない。
シンプルなピアノ伴奏のみだったから、無駄に着飾ったりせずに素朴に響いて、それがこの楽曲に合っていたのかもしれない。
間違いなくこの世で最も美しい、"若者のすべて"のカバーだったと断言。とても良かった。


ただ、実はこれがクライマックスではなかった。
一番の山場。
もうここから先は実際の映像を見てもらいたいんだけど。
企画が終わり、締めに入るとき。
先程の合唱をバックに流しながら、あらためて"若者のすべて"の歌詞世界を自分なりに解説する中岡さん。普段しない髪型から元の髪型へと戻り、普段着ないスーツを脱いで普段着へと戻りながら、満足気にロケの感想を並べるんだけど。
なんかね、別になんてことないシーンなんだろうけど、メロディと歌詞があまりにも企画とかシチュエーションに寄り添っていて、それが激しく胸を打つのよ。ああなんて素晴らしい歌なんだ。なんて素敵な光景なんだと、僕はひとり静かな部屋でボロボロと涙を流した。大丈夫かなオレ。疲れてるのかな。
でも演者の齊藤京子さんもね思わず「感動的なV」「ちょっと泣いた」ってこぼしていた。彼女はいわゆるアイドルですけど、音楽的な教養や素養がしっかりあるし、めちゃくちゃ感化されたんだろう。
このキョコロヒーっていう番組は基本的にお笑いバラエティ寄りの番組なんで、とりあえずヒコロヒーが軽いオチをつけてくれましたが、そんなこと言うヒコロヒーだって、Vを見るその目はすごく温かくて優しかったよ。



フジファブリック自体そんなに僕は思い入れがあるわけじゃないんだよね実際は。何回言うねん。
熱血!スペシャ中学っていう大好きな番組が昔あって、そこに出てた金澤ダイスケ経由でフジファブを知り、身近に思うようになるんだけど。
当時"銀河"っていう曲を出してて、これがけっこう奇天烈なロックでね、当時の僕には理解できなかった。
ボーカルも不気味な一本調子で、なんだコレはとイロモノ枠な捉え方を当時はしてたよ。
でも不思議と志村正彦は気になっていた。
見た目は今で言うと空気階段の水川かたまりに近いかなと思いついて、あらためて見返すとかたまりプラス三四郎の相田っていうところでしょうか。
実際のかたまりはイメージよりも真っ当で普通の人なんだけど、志村はもっと繊細で孤高な水川かたまりっていう感じですかね、まぁ彼のヒトトナリも正直全く知らなくて勝手に妄想で喋ってますけども。
知らないながらも、志村のことは気になっていた。
ボーカルはそんなに好きじゃないけど、ボーカリストとしてはいいなぁと思ってた。
あの歌唱は正直なんともいえないし、感想もそんなにない。でも芯はある。強くて揺るぎない芯があって、雰囲気があって、カリスマがある。今でこそシソンヌじろうさんとか先述のかたまりとか、ザマミィ林田とかロングコートダディ堂前とか、ああいう見た目は市民権を得たけど、当時あんまりいないタイプの見た目でありながら、ボーカリストとしての圧倒的な華があったのは覚えてる。
とりあえず間違いなくカリスマはあった。まぁもしかしたらボーカリストにはそれさえあればいいのかもしれない。歌が上手いとか声がいいとかそんなものは二の次でね。
だからこそ、彼がこの世を去ったと聞いた時は、小さくない喪失感があった。ああ、あの人はこの世にもういないのかと。
別に好きでもなかったくせに、塞ぎ込む。日本の音楽界は、僕たちは、大切な人を失ったんじゃないかと。
遅いにも程があるし、遅いでは済まされないレベル。でも気付けなかった世界線だってあったはずで、それを思えばマシなのかもしれんと自分に言い聞かす。
とはいえ、まぁもったいないことをしたと自分に思うよ。かなり近い存在だったのに、もっと知れば良かったなぁと。



これから先もずっと、いろんな思いを乗せながら、あの志村の声を聴くんだろう。
音楽ってホントすごいよ。こんなにも感情を昂らせてくれる。
サンキューキョコロヒー。今回も最高でした。これからも期待してます。舟橋さん頑張ってね応援してます。
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