『Donda』 Kanye West

アルバムに母親の名前を付けたんだから。行き着くところまで来ちゃった。
迂闊な批評など許されない。創造された宇宙を感じるだけ。


ブラックミュージックの源を辿っていった先に、始まりであるゴスペルへと回帰したのがここ数作。軸をゴスペルとして、スタジアムスケールのプロダクションと、"Mercy"以降のミニマル路線。この2本立て。
表現者として最善の在り方を模索していく中、ヒップホップにすら不自由を覚えた2008年。歌とラップの狭間を漂いながら芸術を提示していくものの、突き詰めた先に辿り着いた究極がゴスペル。ゴスペルが持つエネルギー、魂を揺さぶり、一番奥までズシリと響くその強さと重さを欲したんだと思う。人に最も強く訴えかける形としてのゴスペル。
ただ... そこまでして訴えかけたいモノって何なのか。
ひたすら僕が甘いだけなのかもしれない。でもなんか、そこまで大したメッセージはないんじゃないかって。僕が冷めてるだけなのか。
生命を削り、全身全霊叫ぶカニエ。カッコイイけど、必然性も必要性もない気がして。
音楽に必然性とか必要性とか言うのは無粋すぎますよね。わかってます。
僕はもっとシンプルで良いと思ったんだ。ここまで肩肘張るものでもないだろうと。
やり尽くして、頂に孤高に立って、そこの景色はそこに立った者しか見えないよね。それもわかってる。
これは僕の好みの話。好き嫌いっていう低俗な次元のトーク
ロディアスで心地良いトラックに、小気味よく皮肉たっぷりにラップするカニエが好きなのよ。
スタジアムスケールとか要らないし、荘厳なクワイアとか要らない。
もっとハートフルに穏やかに、ほっこりしたいだけなんだ。
音楽で疲れたくない。
楽しい時間を過ごしたいだけ。


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かつてサンプリング許可を出してくれなかったLauryn Hillが2021年になってOKを出すっていう惨めで滑稽なムーブに苦笑い。
心底しょーもない女やな。
この曲は初期を思わせた。あの頃のカニエがまだ彼の中に存在していることを教えてくれる。
未来は決してわからない。生きている限り。
死ぬなよカニエ。オレはずっと好きだから。